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2006年10月30日 (月)

「海辺のカフカ」とメタファー

Kafuka_1

祝!フランツ・カフカ賞。読みそびれていた村上春樹の「海辺のカフカ」を今頃になって、読了。他のの作品より、すっきりと調和した感じがして、読みやすかった。

ストーリーはギリシャ神話の「オイディプス王」(母と交わり、父を殺す)がベース。15歳の少年と、「頭がよくない」ナカタさんの物語が交互に展開し、そして最後に交わっていく。

他の村上作品にも共通することだが、「海辺のカフカ」はとりわけ、メタファーが多く使われている。「入り口の石」「ジョニー・ウォーカー」「カラス」・・・。細部にも全体にも。そのうち、いくつかははっきりと、いくつかはぼんやりと想像が広がり、それらが重層的なハーモニーとなって広がりを感じる。

小説の中の15歳の少年は、それを説明しない。「ことばで説明してもそこにあるものを正しく伝えることはできないから。本当の答えというのはことばにはできないものだから」。「そのとおりだ。それで、ことばで説明しても正しく伝わらないものは、まったく説明しないのがいちばんいい」と、サダさん。

ただ、そのまま飴玉を口の中で転がすように、この作品を味わった。すると、読むたびに、折々に違った味がするのだ。私の中で、それが、どんな形に発酵していくかわからないけれど、確かな味わいと重みのようなものを感じる。それが心地よくて、私は、結局、よくわからないまま、村上春樹作品を読み続けてしまうのだろう。

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